14(いし)の自叙伝

日々の悩み事の解決策を模索した記録

「学びを結果に変えるアウトプット大全」(著者:樺沢 紫苑)を読んだって話

どうもいしです。

 

「学びを結果に変えるアウトプット大全」(著者:樺沢 紫苑)を読んだって話。

 

昨日ブログ更新さぼったんだけども、やっぱアウトプットするのってすげえめんどくさいの。

 

言いたいことはいっぱいあってもさ、一応ブログにする以上まあそれなりの体裁は整えないとアカンかなーとか思って自分なりに丁寧に書いたわけさ。

 

結果、バーニングだよね。燃え尽きちゃったわけよ。

 

もうだりいし、正直飽きたしブログやめよと思ったんだけども、タイトルの本立ち読みしちゃったせいでブログ続けることになりました。

 

 

この本は、アウトプット大全の名の通りインプットした内容をどうアウトプットすればいいかっていうことを、「話す」、「書く」、「行動」に分けて解説してくれているわけね。

 

で一応科学的に裏付けられた方法としていろいろ書いてくれているわけなんだけど、自分が一番ためになったというか読んでよかったなっていうのが、最後の5章なんだよね。

 

アウトプットのトレーニング法ってことで7つ紹介されているんだけど、その中にツイッターSNS)で感想をつぶやくってのと、ブログで自分の趣味を書くってのがあったのよ。

 

自分がツイッターとブログはじめたきっかけが正にアウトプットするトレーニングがしたかったからなんだけど、正に辞めようと思っていた矢先だったのでやっぱそうなるよなーと思って読んでみました。

 

内容としてはまあわりと普通というか特段新しいことは書いてなかったんだけども(ツイッターは140字しか打てないから、要約力が身につくとか、ブログは誰でもお手軽に情報発信できる良いツールだみたいな)、その取り組む姿勢というか心構えみたいなものが自分的には救いになりました。

 

例えば、ブログで多くの反応が欲しいならマニアックな内容を書いた方がいいって書いてあるんだよね。一般受けする内容なら多くの人が読んでくれるかもしれないけど、反応は余り返ってこないよって書いてあったんだ。

 

自分は職場でさ「お前の話は小難しいから分からない」とか「皆が分かる話をしろ」ってよく言われるから、知らず知らず癖でセーブしてたところがあったんだよね。

 

仕事では皆に分かるようにした方がいいかも分からないけど、ブログだったら皆の規模が違うわけだから、俺の話理解してくれる人1人くらいいるだろうと前向きになれました。

むしろ、俺の考えは世界的にみたら普通とか、今更その話題?とか、自称マニアックはその程度ですかwwwみたいなこと言われたらそれはそれで癪だなと思っていたんですが、「高校生のクラスで一番位のオタク」で大丈夫とのことなので、気楽に頑張っていきたいと思います。(最近の高校生は起業しちゃうし、企業のシステムにハッキングしちゃうし、棋士としてどんどん昇段するしすごいので若干不安ですが。)

 

そういうわけでちょっとめんどくさいけどブログもう少し続けます。

 

他にはいつでもメモできるようにアイテム用意しとけってことなんで、ノート買ってきたよ。

ノートに書いているうちにまた次の考えが頭に浮かんでくるから手が追いつかないよーと思ってノート使ってこなかったんですが、物は試しにってことで。

一人の時は考えを声に出し録音して、あとで振り返りノート作るみたいな感じにしようかな。

 

最初のうちは文章下手糞だし、ですます調とである調統一されていないとか、それ以前の問題とかいろいろあるけれども堪忍してください。

 

著者の樺沢さんも文章が下手と言われて、自分なりに上手く書けるようになったと思えるようになるまで15年かかったようなので、私は30年くらいかかるかもしれませんけどね。

 

孔子に励まされたという話

こんにちは。14(いし)(@faictatetoです。

 

前回の記事で般若心経をきっかけに仏教関連のサイトをながめていましたら、孔子にいきあたりました。(東洋哲学つながり)

 

 

高校の古文漢文の授業がとても嫌いだったので、孔子については昔の中国の偉い先生くらいの認識しかなかったのですが、この人すごいですね。

 

ここまで世界的に有名なのだから若い頃からバリバリのスーパーティーチャー的なのを想像していたのですが、この人が活躍したのはほんの一時みたいですね。(ここまで有名になったのは死後)

 

孔子が生きていた時代は春秋時代末期で後に戦国時代に突入してしまうような時代でした。

 

戦国時代に入って人が殺しあうような時代に突入する直前の時代なので、きっと当時の人々(というより権力者?)はもっと金が欲しい、もっと権力が欲しいと考えていたことが伺えます。

 

きっと、どうしたら金を手に入れられるか、権力を手に入れられるか、周りを出し抜けるかで頭がいっぱいだったことでしょう。

 

しかし、そんな中孔子が語ったのは今でいう道徳なわけですよ。

(例えば「自分がされたくないことは、人にはするな」とか、「相手を思いやってこその礼だ」とか)

 

やばくないですか?周りはどうやって他人を出し抜こうか(悪く言えば騙したり、陥れたりしようか)って考えている中道徳を説いてまわったわけですよ。

 

なんだか、職場で理想論を語る誰かさんを思い出してしまいました。

 

孔子は子供のころに父親をなくし貧乏で、生きるためにはなんでもやったというほど苦労したようです。

 

母子家庭育ちでそれなりに貧乏だった私とも通じるところがあり、なんだか親近感が沸いてしまいました。(孔子からしたら一緒にするなと怒られそうですが。)

 

貧しくてもやれることをやってそこから学ぶ、世間の常識が自分の主張と真逆でも諦めずに説得しようとする。

 

そんな強い生き様を見て、とても励まされましたというお話でした。

 

 

書評~才能の正体 (著:坪田信貴)~

こんにちは。14(いし)(@faictatetoです。

 

記事は一日一記事と思っていたのですが、タイトルの「才能の正体」 (著:坪田信貴)を読んでめっちゃ悔しかったので、感想書きます。最初の方は私が悔しかったという愚痴なんで要らない人は飛ばしてください。

 

~~~~愚痴開始~~~~~~

 

読んだきっかけはツイッターに「この本おすすめ!」みたいな投稿を見た翌日(私にとっては2時間前ほどなんですけど)に本屋で見かけたので軽く立ち読みしてみようと言うことで読んでみました。

 

自己啓発本コーナーにあったので、あまり自己啓発書の類を読まない私としては微妙に敬遠したのですが食わず嫌いは良くないということで読んでみたわけですよ。

 

すると中身がですよ!?普段私が思っていて考えていることとほとんど同じだったんですよ!!

私は読んでいて「全くそのとおり!!俺も皆にそう言いたい!!」と思ったんですね。というかですねブログ記事いくつかストックしているんですけど、その中に同じようなことを既に書いていて何か先に言われたって気がしてならないんですよね。ただ先に言われただけならまだいいんですけれど、塾の先生だけあって(例のビリギャルを書いた方だったんですね)主張の根拠となる、エピソードや分かりやすい例えなどを多様し面白く書いているわけですよ。

これは完全に負けたなと思ったわけです。(何様だ俺は!)

数多くの実績がある方なので説得力もあるし、俺が言ったところで誰も聞かないのにクソーと大変悔しかったです。

でもまあ、今度からは人に言う時に「あのビリギャルを慶応に送った先生がそう言ってんだからあってるにきまってるだるぉぉぉおぉおおお」と虎の威を借っていこうと思います。

 

~~~~~愚痴終了~~~~~

 

では書評に入ります。立ち読みした程度で読み込みが甘いので、著者の意図を勘違いして受け取ってる場合があるので気になった人は(私の代わりに)買って読んでみてください。

 

全体としては才能とはそもそも何なのかを説明し、誰にも何かしらの才能はあるという前提のもと、結局自分に才能があると信じて努力できる人が才能がある人と言われるんだよという内容だと認識しております。

 

で普通の書評だったらこの本では才能とは○○と定義されていて~みたいな感じになると思いますが、私はとにかく自分が言いたいことだけいうので解説とかしません。ふざけんなという人はお帰りください(そもそも見てくれる人少ないけど)。

 

まず、凡人はWhyで考え、天才はHowで考えるって言ってるんですね。まあ、私もそう思います。「なんで?どうして?」まででとまっていたら進歩がないと思いますので。「なんで?どうして?どうやったらできるの?」までいったらまあ合格かなという気がしますね。一応この本ではWhyで考えるのは凡人と言っていますが、Whyまで考えられる人も結構少ない印象を覚えるので、Whyまで考えられたらまあ上出来じゃない?というのが著者とは違う感想を受けました(著者も大衆が読む本なのでマイルドに表現したかったのかもしれませんが)。

 

次にできる人の考えや話を聞く前に、できる人のやっていることを完コピしろってやつですね。まあ、人によって価値観とか土台となっている知識が違うからいきなり話聞いたって理解できるわけがない、だったらできる人の動作を完コピしてそこからその人の考えや価値観を感じ取れっていうのは合理的だと思いますね。

 

でもその後くらいの章に物事を理解するというのは技を理解するというのと術を理解すると言うものの二つがあります。技っていうのは繰り返し同じことをやって理解する方法、術というのはその原理原則をビジュアル化(視覚化)といった方法で理解することと説明されます。そして、技ではなく術で理解するのが重要だというんですね。おいおいさっきは意味とか考えずとりあえず完コピしろいうてたやないかーいと思ったのですが、良く読むとなんとなく両者では言っていることが違う気がしました(洞察力を磨けとか、感性を磨けてのが前者で、後者は思考停止で覚えるんじゃなくて自分の中に落しこめ的な感じ?言い方違うだけで本質的には言っている事同じ気もするけど、私の言語化能力の限界です。)。まあとりあえず、ケースバイケース、バランスが大事、中庸が一番ですよーと思うことにします。(思考停止しとるやないかーい)

 

あと自分の得意な能力を伸ばして尖らせろ、足りないところは他人が補ってくれるというやつ良かったですね。私もそう思います。どうも日本はバランス人間大好きなので弱点があるとそこを治せ、お前はそこがダメだと言いたがりますよね。コミュニケーションとって協力しろとかいいつつ弱点を補い合うという発想にはならず、お互い監視しあいサボっている奴、できない奴を見つけてケツたたけと騒ぐところ私大嫌いです。

 

そんな風潮なので日本には自分の尖りを周りに負けず伸ばした特化タイプと残念ながら折れてしまったほぼ万能タイプの2タイプがいると私は思っているのですがその話はまた後日書きます。

 

何か覚えていること全て書きたいところですが、あまり書きすぎるのも良くないですし何より興奮が収まってきたのでこれくらいにしますかね。

 

私は無名な上に友達少ないし(いないし(涙))フォローワーやブログ見てくれる人もいないし、誰も相手してくれないだろうな。坪田さん(著者)はミリオンセラーとか出しているし優秀な塾の先生だから皆に話聞いてもらえるんだろうなーとモチベーション落ちそうになりましたが、そこは坪田先生我々迷える子羊のことを良くわかっております。

 

「成功したからモチベーションがあるというなら、成功する前はどうやってモチベーションあげたんだろうね」

 

というありがたいお言葉を書いてくれています。

全くそのとおりです。私もそう言いたかった(嘘)。

 

また、

 

「才能も人生も気分が9割」

 

とまさに真理ですね、仰ってくれています。

 

よっしゃ!!明日からもいっちょ頑張りますかね。

いや~食わず嫌いで読まないなんて事にしなくて良かった。

僕は立ち読みで読んじゃったけど、このブログ見た人は買って見てください。

いろいろためになったのに立ち読みですましちゃったんで罪悪感があるんです。

みなさんあとはよろしく!!!

 

以上!!

 

 

 

 

 

 

マジ卍と般若心経

こんにちは。14(いし)(@faictatetoです。

 

 

~本伝~

 

マジ卍の件で語りたいことがまた出てきたので、引き続きマジ卍談義をします。

 

結局「マジ卍」と言う言葉自体にたいした意味はなく言うことに意味がある、いや、実のところ言うこと自体にも特に強い意味はないという結論に私の中では落ち着いたのですが、なんかこれに似た概念のものあったなあと思い考えていました。

そして、思い出しました。そう、般若心経です。

 

私は仏教の専門家でもなんでもないので、解釈が間違っているかもしれません。そこのところご容赦いただいたうえでご覧ください。

 

確か般若心経の最後の「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶(ぎゃーてーぎゃーてー、はらぎゃーてー、はらそうぎゃーてー、ぼうじそわかー)」ってたいした意味なかった気がします。

ネットで調べたら一応訳せるみたいで、意味としては「悟りを得たものに幸あれ!」的な意味みたいです。

 

そもそも般若心経の中に出てくる、「色即是空 空即是色」のとおり般若心経はこの世にあるとされるものは我々があると思っている(思い込んでいる)だけであって、実はそんなものは無いと言っています。

 

そうして当時の人々の恐怖の対象であった、病老死みたいなものもあると思っているだけでそんなものは無いと言って、また、病老死を克服するための真理や方法みたいなものも無いと否定しまくったものだったと認識しております。

 

そんな感じで否定しまくっていくと、否定している自分が最後に残ってしまいます。なのでその自分すらも無にする必要あるので最後は気合で頑張れみたいなニュアンスの「ぼうじそわかー」だった気がします。

同じようなこと考えた人で17世紀フランスの哲学者にデカルト(われ思う、故に我ありの人)がいましたが、ある意味その先をいっていますね。

 

ぼうじそわかー」にあんまり意味を持たせてしまうと、「色即是空 空即是色」といっているのに意味というかそういう概念的なものが存在しているかのように扱われてしまうのであえてあまり意味のない言葉にしていると聞いたことがあります。

 

それで件の「マジ卍」もこれに似ていませんか?

他人にあれこれ説明しても結局正確には伝わらないし、というよりそもそもお互いコミュニケーションとれているという一体感的なものが伝わればいいから細かいところは気合で「マジ卍~」とする。

 

最近の若者は言葉遣いがなっとらんというおじ様方もいますが、もしかしたら若者達はある意味釈迦や龍樹の到達した縁起や空の概念を直感で理解し「マジ卍」を使っているのかもしれません。

 

外伝~縁起と空~

 

仏教といえばやっぱり縁起と空ですかね。

私もこの概念を理解しきれているかと言われれば、全然出来ていないのですけれどわりと昔から意識していることであります。

 

縁起とはいってしまえばこの世の全ては相互作用によって成り立っているというもので、単体で存在出来るものは無いと言った感じでとらえております。

今の自分がいるのは周りの人や環境のおかげでもあるから、感謝しないとなと意識しております。

 

空の方も本当は気が楽になると言ったものではないですけれど、とりあえず私はこの世にあるものは全て幻想にすぎないのだから偏に固執したり、固定概念をもたずに自由に考えたいなと思っています。

 

番外編~おけまる後輩君との出来事~

 

先日「おけまるの後輩」君から先輩は話がすごい面白いくて、先見性があって、綿密なプラン考えているのに実行しないからもったいないと言われてしまいました。

 

あまり褒められたことがないので、その時は褒めてもらえて嬉しいなあくらいに考えていたのですが、これ後輩君としては褒めている方じゃない方を聞いて欲しいんだろうなと我に返って思いました。

 

実行力がないのは割と自覚してはいるのですが、空(おそらく間違った解釈)の考えが脳裏に浮かんであまりやる気が出ないんですよね。

 

自分が好きで興味があることであればどうせ全てのことに意味なんかないんだから、俺がやりたいと思うがままにやるぜとモチベーションマックスになるのですが、基本的に仕事はやりたいものではないのでアイデアだけはいろいろと思いつくのですが、やろうとするところまでいかないんですよね。

 

なので、私のアイデアを実行に移してくれる先輩なり後輩があらわれてくれないかなあといつも目を光らせております。

見つけたら「こんなの考えてみたからあとはよろしくマジ卍~」としたいです。

 

 

おけまる&マジ卍

こんにちは。14(いし)(@faictatetoです。

 

 

~本伝~

先日後輩と話していて、後輩が「それおけまるでーす」といったので、

それどういう意味という話から、所謂若者言葉について教えてもらいました。

その中でも「マジ卍」というワードの衝撃が個人的にはヒットしたので今日はそれらについて語ります。

 

まず「おけまる」はなんとなく分かりますが、OKという同意の意味らしいです。

語感が良く可愛らしいのでここ数日後輩相手にはついつい「おけまる~」と答えてしまいます。

問題は「マジ卍」です。後輩に聞いても後輩自身も正直特に意味はないとのことで、テンションがあがった時やなんとなく同調するときに使っておけば良いとのことでした。

インターネットで調べてみても大体そのような解説がなされていて、さまざまな意味を含むようです。

 

私は最近の若者はすごい進化してるなあと感動を覚えてしまいました。

 

去年メッセージ』(原題:Arrival)という映画を見ました。

致命的なネタバレを回避してあらすじを説明しますと、ある日世界中にタコ型の宇宙人(映画では7本足をもった宇宙人だったのでヘプタポッドと呼称される)の乗ったUFOが飛来しました。人類が彼らとのコンタクトを試みると、ヘプタポッドは墨を吹き付けたような文字言語でメッセージを返してきました。そのメッセージを解読し真相にせまるというのがおおまかなストーリになります。

 

ここから若干ネタバレあるので注意してください。

~~~~~~~ネタバレ~~~~~~~~

映画の中では人類サイドが一生懸命ホワイトボードに文字を書いたり、音を聞かせたり、身振り手振りで話したりと頑張るのですが、ヘプタポッドはプッと墨のようなものをはいて黒い円を描くだけなんですよ。

でも実はこの黒い円はものすごい情報量がつまっている超高度な文字であると判明して、人類の超進化につながります。

~~~~~~~ネタバレ~~~~~~~~

 

「マジ卍」を聞いた時この映画を思い出しました。

マジ卍を使う人達(主に若者達)がこれだけで意思疎通ができているのだとしたら、それはすごい進化なのではないかと思いました。

細かな言語表現を使えなくなり、繊細な意思疎通ができなくなっているのだから寧ろ退化であろうという見方もできるとは思いますが私は前向きに捉えていきたいと思います。

正直私はどんなに言葉を尽くそうとも人間は互いに真に理解しあうことはできないと思っているので、「マジ卍」で問題なくコミュニケーションが取れるのであればまあそれもありなのかなと思います。

 

 

外伝~文字のみでのコミュニケーションでは流石にね~

 

「マジ卍」良いと思うよとは思いますが、それはお互いに顔をあわせて言葉以外の情報があるといった場合や互いに相手の人柄を知っている場合に限るとは思います。

 

レジュメや本、ブログといった文字中心の伝達手段の場合に「これマジ卍」と言われても流石に伝わらないとは思います。

 

マジ卍は結局のところお互いに暗黙知的な前提知識がある上で成り立つ言語であるということだと思うので、万能にはなりえないのかなと思いました。(とても残念ですが)

 

しかし、テクノロジーが進歩していくうちに瞬時に相手に文字以外の情報を渡せるようになれば(例えば、画像や動画)、誰とでもマジ卍が通用する未来が来るようになるかもしれないなと夢は膨らみます。

 

そのうち脳波なんかを解析して、他人の感覚やイメージといったものもインターネット回線を通じて届けられるようになれば、「マジ卍」は情報・感覚共有のための合図(記号、儀式、手順)となりえるかもしれませんね。

 

 

番外編~一応私も25歳(若者)です~

マジ卍という言葉自体はもっと前から聞いたことはありました。

 

しかし、私はテレビをもっておらずまたスマホやパソコンを触るようになったのも社会人になってからという人間なので世間にかなり疎いです。

 

一応趣味は読書や映画鑑賞なので専ら世間の情報はそこからが主になります。

(といってもものすごい読書家の方や映画好きの方に比べれば微々たるものですが。)

 

基本的にはなにもせずボーっとするのが好きなので、気付いたら世間から取り残されてしまうのではないかとたまに心配になります。

 

AIやロボットとといったITテクノロジーがどんどん発達していると聞きますし、

これから世の中どう変わっていくのでしょうか?

頑張りすぎても私はすぐに疲れてしまうので、ほどほどについていけるように勉強していきたいと思います。

 

 

 

「もし自分だったら」の不必要性

こんにちは。14(いし)(@faictatetoです。

 

 

~本伝~


今日は先日の飲み会で、
人に意見を言うときはまず自分だったらそれを言われてどう思うかを考えてから言わないとだめだよと忠告を受けたので少し考察してみたいと思います。

 

私も一応自分だったらどう思うかと考えてはみます。

 

しかし、最近これほど悩むだけ無駄な事はないのではないかと思うようになりました。

意見を言うということは何かの問題に対して、自分がどう思うのかどうしたいのかを人に伝えることだと私は捉えております。

 

そもそも私は人によって問題の捉え方が違うと感じています。(問題と捉えない場合もあるでしょう。)

 

つまり、誰かが問題を抱えたと感じたのはその誰かであったからであって、自分だったらと考えたところで、自分だったらそもそもそんな問題は抱えないか、抱えたとしても捉え方が違うので求める解決策が異なってしまうと思うのです。

 

最近だとセクハラ、パワハラ問題などが良い例になります。
自分だったらどう思うのかを考えることによって問題が解決するのであれば、セクハラ、パワハラ問題はここまで大きな問題にはならないのではないかなと個人的には思っております。

 

よって、私としては自分の意見を言うときは自分だったらと考えるのではなく、相手がどう感じるのかを考えた方が合理的であると考えます。

 

 

外伝~相手がどう感じるのかをどう考えるのか~

 

私は他人を真に理解することはできないと考えています。
なぜなら私は他人とは違う人生を歩み、違う価値観や物の見方をしているからです。

 

他人を理解することが難しいことを示す面白い資料として、ユングの性格分析があります。どういったものかをざっくり説明しますと人間の性格は2×4の8パターンに分けることができて、時にパターンの組み合わせしだいでは価値観や考え方が違いすぎて理解しあうことが難しいといったものです(私なりの解釈を含みます)。

 

自分だったらどう思うかと考えてもうまくいかず、かといって相手がどう思うかを考えるのもまた難しいので、相手に納得してもらうのは本当に難しい問題であります。

 

相手がどう思うのかを相手のニーズは何かと考えて、自分の意見をあたかも相手のニーズに応えるもののように見せかけるというのが現状出来ることであるというのが私なりの解となっていますが、ここら辺の話はまた機会があれば語りたいと思います。


番外編~アルコール談義~

 

ーお酒に含まれるアルコールには、エチルアルコールメチルアルコールの二つがあります。


エチルアルコールアセトアルデヒド→酢酸→二酸化炭素+水に分解されるためほぼ無害であります。
一方、メチルアルコールホルムアルデヒド→蟻酸に分解されます。蟻酸には毒性があります。

 

アルコールの分解はエチルアルコールが先に行われ、その後メチルアルコールが行われます。

飲んでいた日は平気であったのに、翌日気持ちが悪くなる理由は、翌日になってからようやくメチルアルコールの分解が始まり毒性のある蟻酸が体内に循環するからであります。ー


という話を飲み会で聞きました。

この話をしてくれた人は上述の理由から蒸留酒(それもなるべく高品質な)しか飲まないとおっしゃっていました。


有機化学を今一度勉強したくなりました。

~まえがき~プロフィール

はじめまして。14(いし)(@faictateto)と申します。

 

このまえがきを執筆している時点では、愛知県在住の25歳独身男でございます。

転勤や出張がそこそこ多い仕事なので日本全国津々浦々としてきました。

そして、これからももっとすることになるでしょう。

 

 

この記事を書くにあたり自分はどういった性格なのかを考えたところ、

健康第一、最小限主義、無為自然という言葉が近いのではないかと思います。

ひらたく言ってしまうと、

心身ともに健康で長生きしたい。

自分がしたいこと以外は最小限でもいい。

人知を超えた大きな流れに従い、たんたんと日々を暮らす。

といった感じでしょうか。

 

 

このブログは基本的には自叙伝のとおり自分の行ったことや考えたことに対する、

自己弁明(言い訳)といった内容になると思います。

他人の言い訳を聞くのは見苦しいものだとは思いますが、

なるべくユーモアに富ませつつ、かつ、論理的に(ただの屁理屈?)書いていきたいなと思っております。

こういう考え方もあるんだなとか、そうやって考えれば生きるの楽だなとか上手く使えるのであれば使ってやってください。

単によくこうも屁理屈こねられるものだ、理想や妄想の中で生きているなコイツはと娯楽として楽しんでいただいても結構です。言い訳を聞いていただけるだけでも大変ありがたいことです。

 

といったところでまえがきは以上になります。

この自叙伝が長く続くことを祈ります。