14(いし)の自叙伝

日々の悩み事の解決策を模索した記録

映画「ルーム」を見たって話

どうもいしです。

 

プライムビデオで見ようと思っていた「ルーム」ようやく見ました。

一応ネタバレ注意しておきます。

 

 

内容は17歳で誘拐され7年間監禁された母親と、その時の誘拐犯との間にできた5歳の子供が、監禁部屋(ハイテクな納屋)から脱出して葛藤しながら社会に溶け込むって内容です。

 

 

母親と子供にとっては納屋が監禁部屋だったのでしょうけど、僕にとっては社会が監禁部屋みたいなものなので見ていていろいろ考えさせられました。

 

これ見て素直に俺も今の現実から脱出してもっと高みを目指して頑張るぞ!みたいになればいい感じなんですけどひねくれ者の私はそう単純には思えませんでしたね。

 

 

母親と子供は納屋から脱出したあとずっと葛藤しているんですよね

(そこを見るのがこの映画の醍醐味ですけど)。

 

最初母親は脱出して幸せなはずなのに何かもやもやするとか言って自殺までしようとしました。

子供も子供で納屋でやっていたことと同じ遊びしかしません(納屋に帰りたいとかもいうし)。

 

逆にラストになると二人とも納屋とは決別して未来に向かって立ち上がりますエンドとなります。

その時の子供の「部屋(納屋)は縮んじゃったの?」ってセリフ。

前向きにとらえるなら子供の世界が広がった結果納屋が狭く感じるようになったって捉えるんでしょうけど自分はそんな前向きには捉えられませんでしたね。

 

 

映画を見終わってからの感想総括としては、人は幸せな状態(人によっては成功した状態)と居心地のいい状態は違うってことですかね。

 

母親と子供からしたら幸せな状態は外の世界で普通に暮らすことだったんでしょうけど、居心地の良い状態は納屋の中で暮らすことだったって事でしょう。

 

最終的には外の世界に慣れてそれが居心地の良い状態になったので、良い感じに終わってますけど人は慣れたらまたその状態に不満を持つ生き物ですからね。

 

きっと1年後、2年後には今まで二人と誘拐犯だけの生活だったのに、親戚とかいるしご近所とかいるし、その他大勢もいるし窮屈だなって感じるようになると思います。(実際映画でもマスコミとそれに煽られた一般人とかに囲まれてうざそうにしてましたしね。)

 

結局部屋はどこまで脱出してもまた一回り大きな部屋があるだけで永遠に脱出することはできないんだなあと悲観的な感想を持ちました。

 

自己啓発本とかではそうやって高みを目指すことに意味があるとか、成功者ってのはそうやって道を切り開いてきたとかいうんでしょうけどどうなんですかね?

 

僕だったら部屋から脱出することを考えるんじゃなくて、その部屋で楽しむ方法を考えますけどね。

 

映画でも2人は一緒にケーキ作って、誕生日祝ってみたり、他にもいろいろ遊びを考えてやってみたりしてたのでそっちの方が個人的には好きだなと思いました。(飽きて外に出るみたいな感じならいいですけどね。)

 

現代は殊更に日々学び続けなければならない、努力し続けなければならない、成長し続けなければならないと言われ続けている社会に思えるので、僕みたいにあえて部屋の中に閉じこもる奴がいてもいいんじゃね?と思いました。

 

多かれ少なかれ人は現状に不満をもって変化する生き物ではあると思うので、別に焦らなくていいぞと自分に言い聞かせつつ感想終わります。