「もし自分だったら」の不必要性
こんにちは。14(いし)(@faictateto)です。
~本伝~
今日は先日の飲み会で、
人に意見を言うときはまず自分だったらそれを言われてどう思うかを考えてから言わないとだめだよと忠告を受けたので少し考察してみたいと思います。
私も一応自分だったらどう思うかと考えてはみます。
しかし、最近これほど悩むだけ無駄な事はないのではないかと思うようになりました。
意見を言うということは何かの問題に対して、自分がどう思うのかどうしたいのかを人に伝えることだと私は捉えております。
そもそも私は人によって問題の捉え方が違うと感じています。(問題と捉えない場合もあるでしょう。)
つまり、誰かが問題を抱えたと感じたのはその誰かであったからであって、自分だったらと考えたところで、自分だったらそもそもそんな問題は抱えないか、抱えたとしても捉え方が違うので求める解決策が異なってしまうと思うのです。
最近だとセクハラ、パワハラ問題などが良い例になります。
自分だったらどう思うのかを考えることによって問題が解決するのであれば、セクハラ、パワハラ問題はここまで大きな問題にはならないのではないかなと個人的には思っております。
よって、私としては自分の意見を言うときは自分だったらと考えるのではなく、相手がどう感じるのかを考えた方が合理的であると考えます。
外伝~相手がどう感じるのかをどう考えるのか~
私は他人を真に理解することはできないと考えています。
なぜなら私は他人とは違う人生を歩み、違う価値観や物の見方をしているからです。
他人を理解することが難しいことを示す面白い資料として、ユングの性格分析があります。どういったものかをざっくり説明しますと人間の性格は2×4の8パターンに分けることができて、時にパターンの組み合わせしだいでは価値観や考え方が違いすぎて理解しあうことが難しいといったものです(私なりの解釈を含みます)。
自分だったらどう思うかと考えてもうまくいかず、かといって相手がどう思うかを考えるのもまた難しいので、相手に納得してもらうのは本当に難しい問題であります。
相手がどう思うのかを相手のニーズは何かと考えて、自分の意見をあたかも相手のニーズに応えるもののように見せかけるというのが現状出来ることであるというのが私なりの解となっていますが、ここら辺の話はまた機会があれば語りたいと思います。
番外編~アルコール談義~
ーお酒に含まれるアルコールには、エチルアルコールとメチルアルコールの二つがあります。
エチルアルコールはアセトアルデヒド→酢酸→二酸化炭素+水に分解されるためほぼ無害であります。
一方、メチルアルコールはホルムアルデヒド→蟻酸に分解されます。蟻酸には毒性があります。
アルコールの分解はエチルアルコールが先に行われ、その後メチルアルコールが行われます。
飲んでいた日は平気であったのに、翌日気持ちが悪くなる理由は、翌日になってからようやくメチルアルコールの分解が始まり毒性のある蟻酸が体内に循環するからであります。ー
という話を飲み会で聞きました。
この話をしてくれた人は上述の理由から蒸留酒(それもなるべく高品質な)しか飲まないとおっしゃっていました。
有機化学を今一度勉強したくなりました。