14(いし)の自叙伝

日々の悩み事の解決策を模索した記録

マジ卍と般若心経

こんにちは。14(いし)(@faictatetoです。

 

 

~本伝~

 

マジ卍の件で語りたいことがまた出てきたので、引き続きマジ卍談義をします。

 

結局「マジ卍」と言う言葉自体にたいした意味はなく言うことに意味がある、いや、実のところ言うこと自体にも特に強い意味はないという結論に私の中では落ち着いたのですが、なんかこれに似た概念のものあったなあと思い考えていました。

そして、思い出しました。そう、般若心経です。

 

私は仏教の専門家でもなんでもないので、解釈が間違っているかもしれません。そこのところご容赦いただいたうえでご覧ください。

 

確か般若心経の最後の「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶(ぎゃーてーぎゃーてー、はらぎゃーてー、はらそうぎゃーてー、ぼうじそわかー)」ってたいした意味なかった気がします。

ネットで調べたら一応訳せるみたいで、意味としては「悟りを得たものに幸あれ!」的な意味みたいです。

 

そもそも般若心経の中に出てくる、「色即是空 空即是色」のとおり般若心経はこの世にあるとされるものは我々があると思っている(思い込んでいる)だけであって、実はそんなものは無いと言っています。

 

そうして当時の人々の恐怖の対象であった、病老死みたいなものもあると思っているだけでそんなものは無いと言って、また、病老死を克服するための真理や方法みたいなものも無いと否定しまくったものだったと認識しております。

 

そんな感じで否定しまくっていくと、否定している自分が最後に残ってしまいます。なのでその自分すらも無にする必要あるので最後は気合で頑張れみたいなニュアンスの「ぼうじそわかー」だった気がします。

同じようなこと考えた人で17世紀フランスの哲学者にデカルト(われ思う、故に我ありの人)がいましたが、ある意味その先をいっていますね。

 

ぼうじそわかー」にあんまり意味を持たせてしまうと、「色即是空 空即是色」といっているのに意味というかそういう概念的なものが存在しているかのように扱われてしまうのであえてあまり意味のない言葉にしていると聞いたことがあります。

 

それで件の「マジ卍」もこれに似ていませんか?

他人にあれこれ説明しても結局正確には伝わらないし、というよりそもそもお互いコミュニケーションとれているという一体感的なものが伝わればいいから細かいところは気合で「マジ卍~」とする。

 

最近の若者は言葉遣いがなっとらんというおじ様方もいますが、もしかしたら若者達はある意味釈迦や龍樹の到達した縁起や空の概念を直感で理解し「マジ卍」を使っているのかもしれません。

 

外伝~縁起と空~

 

仏教といえばやっぱり縁起と空ですかね。

私もこの概念を理解しきれているかと言われれば、全然出来ていないのですけれどわりと昔から意識していることであります。

 

縁起とはいってしまえばこの世の全ては相互作用によって成り立っているというもので、単体で存在出来るものは無いと言った感じでとらえております。

今の自分がいるのは周りの人や環境のおかげでもあるから、感謝しないとなと意識しております。

 

空の方も本当は気が楽になると言ったものではないですけれど、とりあえず私はこの世にあるものは全て幻想にすぎないのだから偏に固執したり、固定概念をもたずに自由に考えたいなと思っています。

 

番外編~おけまる後輩君との出来事~

 

先日「おけまるの後輩」君から先輩は話がすごい面白いくて、先見性があって、綿密なプラン考えているのに実行しないからもったいないと言われてしまいました。

 

あまり褒められたことがないので、その時は褒めてもらえて嬉しいなあくらいに考えていたのですが、これ後輩君としては褒めている方じゃない方を聞いて欲しいんだろうなと我に返って思いました。

 

実行力がないのは割と自覚してはいるのですが、空(おそらく間違った解釈)の考えが脳裏に浮かんであまりやる気が出ないんですよね。

 

自分が好きで興味があることであればどうせ全てのことに意味なんかないんだから、俺がやりたいと思うがままにやるぜとモチベーションマックスになるのですが、基本的に仕事はやりたいものではないのでアイデアだけはいろいろと思いつくのですが、やろうとするところまでいかないんですよね。

 

なので、私のアイデアを実行に移してくれる先輩なり後輩があらわれてくれないかなあといつも目を光らせております。

見つけたら「こんなの考えてみたからあとはよろしくマジ卍~」としたいです。