14(いし)の自叙伝

日々の悩み事の解決策を模索した記録

ただの妄想

肉体労働はロボット。

知能労働はAI。

 

そんな未来が本当に来たら多くの人間は必要なくなるだろうな。

 

人間らしくない仕事はロボットやAIに任せて、人間はもっと人間らしい仕事をすればいいという意見も聞くけど僕はその「人間らしい仕事」っていうのができる人がはたしてこの世どれだけいるのか大いに疑問だ。

 

サルトルの言うとおり大部分の人は自由からの逃走を行って何かに支配されたがるはずだと思うんだ。

 

でも支配されるってことは支配するメリットがあるはずだけど、ロボットやAIが出てきたらはたして人を支配するメリットはあるのかな?

 

支配するメリットのなくなった多くの人は行き場を失うだろう。

何人かは自分らしさや「人間らしい仕事」とやらを見出して生きていくんだろうけど、大多数の人間には無理だろう。

 

そういった大多数の人の受け皿になるのが仮想現実になるような気がする。

マトリックスの世界のようにカプセルにつながれて、偽者の世界を今のように生きる。

 

一部の富裕層やクリエイティブな人は現実の世界を生き、残りの凡人は仮想現実を生きる。

 

そんな未来が来る予感。

 

もしかしたら今この現実も実は「現実世界」を生きられなかった僕の仮想現実なのかもしれない。

 

 

 

ガソリンは

ガソリンは燃える。

 

燃えて物を動かす。

 

発電機を回し電気を作る。

エンジンを動かし自動車を動かす。

飛行機を飛ばすこともできる。

可能性は無限大。

 

ガソリンは臭い。

 

燃えずにいるものは特に臭い。

揮発して姿が見えなくなると余計に性質が悪い。

 

ガソリンは腐る。

 

腐ると臭いがひどい。

使うことも捨てることも難しい。

 

ガソリンは

 

燃えるその時を待っている。

 

人生とゲーム

ゲームの楽しみ方は人それぞれ。

 

ストーリーを楽しむ者。

強敵を倒すことを楽しむ者。

冒険を楽しむ者。

レベル上げを楽しむ者。

ゴールドやアイテムを収集する者。

村人との交流を楽しむ者。

 

どの楽しみ方が一番であるとか、面白いというものはなく、皆それぞれの楽しみ方がある。

横からゲームのやり方に口を挟むのは無礼である。

 

オンラインゲームの楽しみ方も人それぞれ。

 

仲間との交流を楽しむ者達。

仲間と協力し最高記録を達成する者達。

仲間と助けあいゲームクリアに臨む者達。

 

オフラインの時のように好き勝手できるわけではないが、オンライン独自の楽しみ方もある。

 

やはりゲームは楽しいものでなくては。

 

しかし、ゲームを楽しめない者もいる。

 

つまらないゲームを惰性で続ける者。

チームの目的のために自己を犠牲にする者。

 

楽しめないよりはましだが、ゲームに執着する者もいる。

 

そんなゲームに続ける価値はあるのか。電源を切ってしまった方がましではないか。

 

所詮はゲーム。ゲームに意味はない。

ゲームが楽しいただそれだけでいい。

 

 

人と鉛筆

美しい字を書くには鉛筆を尖らせなければならない。

尖った鉛筆で書く字は美しい。

 

たくさん字を書いているうちに丸くなる。

丸い鉛筆は周りを傷つけないので、受け入れられる。

 

しかし、丸くなった鉛筆では美しい字が書けない。

丸くなった鉛筆に価値はないのか。

丸くなった鉛筆の残したものには価値があるかもしれない。

 

丸くなった鉛筆は二度と美しい字を書くことができないのか。

いや、もう一度尖らせればいい。

 

尖らすにはどうすればいいのか。

身を削るしかない。

 

尖った鉛筆の芯は折れやすい。

先の折れた鉛筆が書く字は先の丸い鉛筆の書く字よりも擦れて醜い。

擦れた字のまま書き続けることもできる。

きっとそのうち丸くなる。

 

でも俺はその鉛筆を削りなおして使うだろう。

 

 

 

映画「ルーム」を見たって話

どうもいしです。

 

プライムビデオで見ようと思っていた「ルーム」ようやく見ました。

一応ネタバレ注意しておきます。

 

 

内容は17歳で誘拐され7年間監禁された母親と、その時の誘拐犯との間にできた5歳の子供が、監禁部屋(ハイテクな納屋)から脱出して葛藤しながら社会に溶け込むって内容です。

 

 

母親と子供にとっては納屋が監禁部屋だったのでしょうけど、僕にとっては社会が監禁部屋みたいなものなので見ていていろいろ考えさせられました。

 

これ見て素直に俺も今の現実から脱出してもっと高みを目指して頑張るぞ!みたいになればいい感じなんですけどひねくれ者の私はそう単純には思えませんでしたね。

 

 

母親と子供は納屋から脱出したあとずっと葛藤しているんですよね

(そこを見るのがこの映画の醍醐味ですけど)。

 

最初母親は脱出して幸せなはずなのに何かもやもやするとか言って自殺までしようとしました。

子供も子供で納屋でやっていたことと同じ遊びしかしません(納屋に帰りたいとかもいうし)。

 

逆にラストになると二人とも納屋とは決別して未来に向かって立ち上がりますエンドとなります。

その時の子供の「部屋(納屋)は縮んじゃったの?」ってセリフ。

前向きにとらえるなら子供の世界が広がった結果納屋が狭く感じるようになったって捉えるんでしょうけど自分はそんな前向きには捉えられませんでしたね。

 

 

映画を見終わってからの感想総括としては、人は幸せな状態(人によっては成功した状態)と居心地のいい状態は違うってことですかね。

 

母親と子供からしたら幸せな状態は外の世界で普通に暮らすことだったんでしょうけど、居心地の良い状態は納屋の中で暮らすことだったって事でしょう。

 

最終的には外の世界に慣れてそれが居心地の良い状態になったので、良い感じに終わってますけど人は慣れたらまたその状態に不満を持つ生き物ですからね。

 

きっと1年後、2年後には今まで二人と誘拐犯だけの生活だったのに、親戚とかいるしご近所とかいるし、その他大勢もいるし窮屈だなって感じるようになると思います。(実際映画でもマスコミとそれに煽られた一般人とかに囲まれてうざそうにしてましたしね。)

 

結局部屋はどこまで脱出してもまた一回り大きな部屋があるだけで永遠に脱出することはできないんだなあと悲観的な感想を持ちました。

 

自己啓発本とかではそうやって高みを目指すことに意味があるとか、成功者ってのはそうやって道を切り開いてきたとかいうんでしょうけどどうなんですかね?

 

僕だったら部屋から脱出することを考えるんじゃなくて、その部屋で楽しむ方法を考えますけどね。

 

映画でも2人は一緒にケーキ作って、誕生日祝ってみたり、他にもいろいろ遊びを考えてやってみたりしてたのでそっちの方が個人的には好きだなと思いました。(飽きて外に出るみたいな感じならいいですけどね。)

 

現代は殊更に日々学び続けなければならない、努力し続けなければならない、成長し続けなければならないと言われ続けている社会に思えるので、僕みたいにあえて部屋の中に閉じこもる奴がいてもいいんじゃね?と思いました。

 

多かれ少なかれ人は現状に不満をもって変化する生き物ではあると思うので、別に焦らなくていいぞと自分に言い聞かせつつ感想終わります。

 

 

自転車パクられて良かったていう話

どうもいしです。

 

自転車ぱくられました。

ついうっかり鍵さしっぱなしで離れちゃったので、

まんまと誘拐されてしまいました。

 

いいきっかけなので徒歩通勤始めようと思います。

最寄の駅まで2km位なので別にそんな遠くないんですよね。

 

徒歩通勤なら音楽とか聞きながらでもいいよねってことで、

ワイヤレスの片耳イヤホン買いました。

ワイヤレスイヤホン欲しいなと思っていたのですが、

外で何かを聞くってことがなかったので手を出していませんでした。

こちらもいい機会でした。

英語のリスニングとかオーディブルで本を聞きながら読むとかしようと思っていたのでちょうどいい時間が作れそうです。

 

自転車なくなっても良かったんですけど盗難されたまま放置もいろいろまずいかなーってことで警察署に行って被害届出してきました。

地方の警察署だからかこじんまりとしていて、生活感が滲み出ていて良かったです。

歳の近いお兄さんが相手してくれたので、いろいろと雑談も交えつつ楽しく被害届だせました。

 

アクシデントっていいですよね。

新しいこと始めたり、普通では経験できないことが体験できるいいきっかけなので。

自分から新しいこと初めてもいいんですけど、たいてい落ちどころが読めてしまうのでこんなもんかってパターンが多いですからね。

これくらいのアクシデントだったら、時々起きてくれたほうが人生のいいスパイスになるのでいいなと思いました。

 

社会的には褒められたことじゃないだろうけど、チャリパクッてくれた人サンクス。

大切に使ってやってくれ。逆に下手に目立つところに返却されると警察から呼び出されて取りにいかなきゃならなくなるからやめてくれな。

 

 

「まんがでわかる LIFE SHIFT」(著者:星井 博文)を読んだって話

どうもいしです。

 

「まんがでわかる LIFE SHIFT」(著者:星井 博文)を読んだって話。

 

昨日サボった分今日は2つ記事あげるよ。

最近良く見るまんがでわかるってやつね。

原作(っていうの?)はLIFE SHIFT(リンダ グラットン (著), アンドリュー スコット (著), 池村 千秋 (翻訳))なんだけど、結構分厚いし、文字も小さめなんで読むの時間かかるなーってことで漫画版でさくっといこうということで読みました。

 

表紙にもなっていますが人生100年時代みたいですね。

 

科学の力が進歩しまくったら、人の記憶や意思みたいなものも電脳世界に保存できるとかになって人生それこそ1000年時代とかになるかも分からないですし、未知のウイルスとか病気とか思想とかが伝染して逆に人生50年時代とかなるかも分かりません。

 

とにかく今の常識が通じなくなる未来が来ますよーの一例ってことで人生100歳時代って事でしょうか。

 

私としてはいつの時代もその時の常識は日々変わっていくものなので、今更さわぐほどでもないと思うのですが、皆好きですよねこういうの。

 

未来や変化というのは希望を見出す反面、恐怖や不安を呼び起こすものですからそれに対する適切な答えを示してくれるようなこういう本が売れるのは良くわかります。

 

漫画版では今は教育→仕事→引退という一方通行的なライフステージを歩むのが常識とされているけど、これからはいろんなステージを行ったり来たりあるいは同時にやったりする時代がくるでって言ってました。

 

いろんなステージがなんぞやっていうのは実際本を読むか、他のブログ見てください。

そんでそんな時代を生き残るには無形資産が大事になってくるよって言ってます。

(無形資産がなんぞやってのは以下略。)

 

感想としては言っていることはごもっともなんで、無形資産を作ったらいいと思うよ、なんですがこの本から学べる一番大切なことってそういうことじゃない気がするんですよね。

 

立ち読みしただけで、内容微妙に忘れてるんで他のブログとか感想をいくつか参考にさせてもらったんですが、どれもこれからは無形資産大事!!とかパートナーとの関係大事!!みたいなまとめ方なんですよね。

 

俺が感じた一番大事なことは冒頭にも言ったけどいつの時代も常識は変わるよってただ1点な気がします。

 

現時点、この本が発売されたのが2016年みたいなんで2016年の時点から見たらこれからは無形資産が大事でパートナーが大事かも分からんですよ。

 

でも来年には世界大戦が起きて核戦争勃発。食べられる水や食料がほとんどない世界みたいになったとき無形資産大事!!パートナー大事!!みたいに言っていられるのかねと思いました。

 

例えとしては大げさなのでアレですけども、結局そういうことでライフシフトで言うこれからの常識もいつかは常識ではなくなるわけですよ。

 

だからとりあえず目先のビジョンとしてライフシフトの語る常識をありがたがるのはいいですけど、それと同時にいつかはこの常識も古くなるということを念頭にいれとかないと意味ないよねと思いました。

 

ライフシフトをただの無形資産が大事でパートナーが大事だと教えてくれる良い教科書だと思っている人は、その常識が通じなくなってきた時また新たなライフシフトを探さなきゃいけないのでいつまでたっても救われないなと思いました。

 

本の内容は面白くて、人生に活かすことは可能だと思うので読んで学ぶ価値は大いにあると思うのですが、読んでいる人の何人がこのことに気付いているのかなーと人事ながら心配になります。

 

とはいえ目先の人生を生き延びないとその先の人生はないのでそれはそれでいいのかもしれないですけどね。

 

自分は答えがない問題の方がワクワクする性質なのでこういう考えですけど、普通の人は答えが合った方が安心できるみたいなんで好きにしたらいいと思います。

 

 

アウトプット大全曰く、本読んだら必ず感想書けって事のなので書いたけどこんなんでいいのか。

 

客観的に見てなんか投げやりだし、結局言いたいことあやふやだし、本の中身ほとんど触れてないしなので需要あるか分かりませんけどこんな感じで続けていきます。

 

あ、漫画版に出てくるエルザちゃんかわいかったです。ああいう利発で元気な子好きですね。